こんにちは。きのひです。
「燦(さん) 6」 あさの あつこ 著 を読みました。
2015年5月10日 第1刷
あぁ、田鶴(たづる)の空だ。
田鶴藩筆頭家老である吉倉伊佐衛門(よしくらいざえもん)の嫡男、吉倉伊月(いつき)は頭上に広がる碧空(へきくう)に向かい微笑(ほほえ)みました。
江戸の空は季節に関わりなくいつもどこか曖昧にぼやけて感じられた。
田鶴の空は違う。
空は空として、ある。
その境界はくっきりと鮮やかで混ざることは決して、ない。
一朶(いちだ)の雲が中ほどに浮かんでいる。
その雲の輪郭も鮮明だ。
「伊月、おるか」
田鶴藩藩主となった圭寿(よしひさ)が呼んだ。
駕籠(かご)が止まります。
「田鶴はもう見えたか」
「いえ、この七曲りの坂を登り切れば氷室峠(ひむろとうげ)に着きます」
「そこからなら田鶴の城下を見渡せましょう」
氷室峠の名はここに藩の氷室が幾つか設けられていたことに由来します。
毎夏、夏至(げし)のおり氷室から切り出された氷が領主に献上された。
「氷室」
HugKum (はぐくむ) 小学館 2024.6.26 の記事によると日本書紀にすでに記述されていました。
「額田大中津彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこと)が、つげ(奈良県東部山間地一帯)に狩りに出かけられたときに山中で広い岩穴を見つける」
「『これはなにか』と土地の人にたずねたところ『氷室でございます』という答えが返ってきた」
「皇子は氷室にある氷を持ち帰り天皇に献上すると大変喜ばれた」
「これ以後、冬に氷を氷室で蓄え春になったら取り出して朝廷に献上するようになった」
金沢では江戸時代に旧暦の六月一日を「氷室の朔日(ひむろのついたち)」と呼んでいてこの日に氷室に貯蔵していた氷を江戸の徳川幕府に献上していました。
この行事は今も続いている。
「湯涌温泉にある氷室小屋から切り出された氷は石川県知事、金沢市長、加賀藩下屋敷があった東京都板橋区、目黒区に贈呈されているのだそうです」
献上された氷は削ってかき氷にして食べたりお酒に入れたりして楽しんでいたといわれている。
日本各地で伝統としていまでも続いている行事が旧暦の6月1日に行われる「氷の朔日」
天皇や将軍に氷が献上されていたことから氷室に貯蔵していた氷を食べると暑さに勝てるという言い伝えが残っています。
そのため日本各地で「氷室祭」「献氷祭り」「氷室開き」といった行事が行われる。
穴タイプや洞窟タイプの氷室は掘った穴に藁(わら)や茅(かや)などの干した草を敷き詰め氷を置きその上から断熱材としてふたたび藁などをかぶせた構造をしています。
氷室に貯蔵した氷は自然の力を利用して溶けるスピードを遅くしていた。
自然の力とは「気化熱」
気化熱とは液体が気体(水蒸気化する)になるときに、液体の周囲から奪われる熱のことです。
氷室では藁や茅などについた水分が蒸発することで周囲の温度を下げていたのだと考えられている。
氷室は世界各地にも存在しそれぞれの地域で独自の工夫が施されています。
なんとなく昔のことだと思っていましたがいまも日本各地に再現された氷室や氷室跡、それにまつわるお祭りや行事がある。
群馬では「氷室の節句」の関連行事が毎年6月1日前後に開かれているそうです。