こんにちは。きのひです。
「夫婦(めおと)からくり」 中島要 著 を読みました。
2014年10月20日 初版第1刷発行
「千手の辰三」と言われた名うての十手持ち・辰三が行方知れずになってから、はや四年です。
父のことを案じるお加代は、十手を受け継いだ文治との祝言の話が進まないことにも、じれったいような、それどころではないような気がしていた。
文治は六尺豊かな大男で人よりはるかに力はあるが、頭の巡りは今ひとつで見た目のほうもぱっとしません。
口が悪くて短気なくせに、変なところで押しが弱い。
十七の頃、お加代は「文さんと一緒になるなんて冗談じゃない」と思っていました。
母からさんざん聞かされた両親の馴れ初めみたいに、いつか自分も父のような男前と恋に堕(お)ちると信じていた。
だが父が姿を消してから、お加代を助けてくれるのはいつも決まって文治でした。
つらいとき、困ったとき、もう駄目だと思ったときに、足音もけたたましく現れる。
「文さんがそばにいてくれたから、あたしはずっと怖いもの知らずでいられたんだ」
そう気付いてしまったら、文治しか考えられなくなった。
著者は「夫婦」を「めおと」と読ませていますが「ふうふ」ではないんですね。
「二字熟語の百科事典」「夫婦の読み方!『ふうふ』と『めおと』正しいのは?」
答えとしては「両方とも」正しい。
「ふうふ」は理解できるものの、何故夫婦を「めおと」と読むのでしょうか?
「実はこれ、熟字を訓読みにする熟字訓と呼ばれるものです」
訓読みが漢字を日本語として意味が通じるように読ませるように、熟字訓とは熟語に対して日本語の意味が通じる読み方で読ませたもの。
「簡単にいってしまえば、一つの熟語に対して訓読みをしているということですね」
「夫婦は『ふうふ』とも読みますが、これの持つ意味が日本語の『めおと』とほとんど変わらないために、そう読まれるようになりました」
「桐生市医師会」「桐生タイムスより」「夫婦と夫妻/微妙な差」
「夫婦と夫妻とは同義語だが、語感に微妙な差があり、互いに入れ替えて使えるとはかぎらない」
たとえば語の後に、円満やけんかを付けると、夫婦円満や夫婦げんかは使えるが、夫妻円満や夫妻げんかはしっくりしません。
「あらたまった用語としては夫婦より夫妻が使われる」
「『社長夫婦に仲人を頼む』には違和感がある」
夫婦は「私ども夫婦」のように自分側に使えるが、夫妻は「私ども夫妻」のように自分側に用いることはありません。
「夫婦は漢語で、大和言葉では『めおと』だ。めおとは普通『夫婦』と表記するが発音通り記すと妻夫だろう」
封建社会の男尊女卑ではなく、現代風のレディーファーストともいえます。
夫婦の表現には夫妻の他に配偶者があります。
「夫婦は互いに配偶者だ」
男女の差別を全く感じない言葉です。
「結婚する際、互いに相手を選んだと思っていても、大宇宙から見ると偶然配られた者なのだろう」
「誰が考えたのか、配偶者とはうまい表現だ」