こんにちは。きのひです。
「100年先も大切にしたい 日本の伝えばなし」 桜井 識子 著を読みました。
2023年6月19日 初版発行
著者は神仏研究家、文筆家。
霊能者の祖母・審神者の祖父の影響で霊や神仏と深く関わって育ちました。
神社仏閣を2000ヶ所以上参拝して得た神様・仏様世界の真理、神社仏閣参拝の恩恵などを広く伝えている。
神仏を感知する方法、ご縁・ご加護のもらい方、人生を好転させるアドバイスなどを書籍やブログを通して発信中。
「神社やお寺には必ずと言っていいほど『由緒』があります」
泉にお酒が湧いたという養老の滝の伝説、鬼がいたという伝説。
美しさを永遠に保ちたいからと泉の水を飲んで龍になった女性の伝説。
丑(うし)の刻参(こくまい)りのモデルとなった神様がいる・・・「そのお話はどこまでが事実?」
気になったところに行ってみた著者。
すると「意外なことに由緒や伝説に近いことが過去にあったというケースが多かったのです」
その中に「白虎隊(びゃっこたい)」の少年たちのことがありました。
明治維新直前のこと。
新政府軍と旧幕府軍は最後の戦いをしていた。
会津藩の少年たちは少年でありながら「自分たちも戦うべきだ」「戦に参加させてほしい」と藩に申し出ます。
それが認められて少年たちも出陣することになった。
ひとりの大人がリーダーとして少年たちを引率していました。
ある夜、少年たちが空腹を訴えるとリーダーは「食べ物を探してくる」
「ワシが戻るまでここを動くな」と言い残してその場を去りました。
夜が明けてもリーダーは戻ってきません。
「自分たちだけでも進撃をしよう!」と少年たちは先へ進んだ。
ところがいざ戦場に出陣してみると敵の鉄砲隊には歯が立たず「白虎隊二番隊」は数が半分ほどに減ってしまいました。
残った少年たちは敗走する。
飯盛山まで逃げてきた少年たちは状況がどうなっているのかを確認するため景色が一望できる場所に行きました。
そこでお城を見ると・・・なんと、お城が炎上していた。
実際は燃えていなかったのですが、城下が火の海となっていたせいでお城も燃えているように見えて勘違いをしたのでした。
「会津が負けた!」と絶望した少年たちは「生き恥をさらすまい」と自刃を決めた。
「・・・というお話が白虎隊に関する通説です」
もっと知りたい、と思った著者は少年たちが自刃をした飯盛山に行くことにした。
白虎隊士19人のお墓は広場のようなところにありました。
墓石がずらりと並べられている。
「ここには悔しいとか、無念だとか、ネガティブな念はまったくありません」
「スカッとしています」
並んでいるお墓の前には白虎隊士がいました。
「見えない世界でのお話です」
少年のリーダーらしき男の子は自決を選んだことについて話をしてくれました。
「お城が燃えているように見えた。お城が落ちた、と思った」
その炎の中で自分たちのお殿様は切腹をしているはず、と少年たちは思いました。
お城が炎上しているのは会津藩がみずから火を放ったのだろうと考えた。
旗色が悪くなったお殿様が「もはやこれまで」と潔く負けを認めた。
となるとお殿様が切腹をしていることは疑いようがありません。
もしも敵が放った火でお城が燃えていたとしたら?ということも考えた。
この場合お殿様は敵に捕らえられたり首を取られたりすることをよしとしないはず。
「凛々しく御腹をお召しになっているだろう」
全員が疑うことなくそう思いました。
お殿様に殉じて自決をするのは藩士として当たり前。
殉死をしない、という選択肢はなかった。
「迷いはなかった」と言います。
「それって、みんなで話し合ったの?」
「死ぬか、それとも降伏するかみたいな感じで」
「話し合うことはなかったそうです」
「お殿様が切腹したと思った時点で『では俺たちも』となるのは当然であり『俺ら、どうする?』などと話し合うことは思いも寄らなかったそうです」
全員が潔く、迷いもなく、意志を固めている。
これに著者は「なるほど~」と納得しました。
お城が燃えているから絶望して自決したという通説に著者は違和感をもっていた。
「お城が落ちたことで全員の意見が自刃で一致した、というところも謎でした」
「最後まで戦いたい、戦って死にたいという子のほうが多いように思ったのです」
事実は「殉死をする」で意見が一致した。
少年たちの認識では自分たちはお殿様に忠誠を尽くしてあとを追い、武士道をまっとうしたのです。
「ですから本当にさっぱり、あっさりとしていました」
時代が変わった現在、自刃したことについてどう思っているのか、そこも著者はきいてみた。
「お城が燃えていると見間違えて、つまり早とちりで死んでしまった、と思ったりする?」
リーダーも他の子も爽やかに笑います。
「後悔なんて、全然ないよ。何も後悔していない」
自決したことによって会津藩の悲劇が世に知られました。
もしかしたらこの事件のおかげで、新政府軍が100%正しくて会津は賊軍だったという印象になっていないのかもしれない。
「会津は会津で幕府に忠誠を尽くしたことが後世の人にわかってもらえたのではないか」
少年たちはそう分析しているのです。
「自分たちの死が会津の名誉にひと役買っているのであればそれは光栄であり、後悔などするはずがない」
「早とちりだと思ったことは一度もない」
「白虎隊の悲劇はこれが真実です」
「会津のために、主君のために、という意識が強かった少年たちの取るべき道だった自刃であって、決して勘違いからの絶望で死んだわけではありませんでした」
少年たちのお墓に行くと非常にすがすがしく晴れやかな気分になる。
「真実を知っていることを伝え、武士として立派だったなどの感想を言うと喜んでくれますし『知ってくれてありがとう』とお礼も言われます」
「白虎隊のお墓はそのような、ある意味癒やしの場所でした」