こんにちは。きのひです。
「魂手形」 宮部 みゆき 著 を読みました。
2021年3月26日 初版発行
江戸は神田の袋物屋・三島屋で行われている風変わりな百物語。
「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」が原則ですが、従妹のおちかから聞き手を引き継いだ富次郎は語られた話を墨絵に描き封じ込めることで聞き捨てとしていました。
美丈夫の勤番武士が語るのは摩訶(まか)不思議な力であらゆる火災を制す「火焔太鼓」
その武士の名は中村新之助(なかむらしんのすけ)。元服前の幼名は小新左(こしんざ)と呼ばれていました。
小新左の父はすでに亡く兄の柳之助(りゅうのすけ)が十五で元服してすぐに家督と役務を継いだ。
若くして家を継いだこともありしっかりした姉さん女房がよかろうということか兄嫁となったよしは兄より五つ年上で二十歳(はたち)でした。
今年、柳之助は二十一歳、小新左は十歳。
母は先年亡くなってしまったので今の中村家は兄と嫂(あによめ)と小新左、じいである山辺八郎兵衛(やまべはちろべえ)それに若党と奉公人たちとの暮らしです。
その日、小新左は「武」の稽古(けいこ)を終え腹の虫を盛大にぐうぐうと鳴かせながら屋敷へ帰ろうとしていた。
よしはお菜をこしらえるのが上手でした。
ありきたりな粟餅や黍(きび)団子でもよしが作ると旨いから不思議だ。
「食いもの!」心のなかで元気よく叫んだところで、どこか彼方(かなた)から腹に応(こた)えるような不可思議な物音が響いてきました。
「ぶおぉぉ~、ぶおぉぉ~」
夏の風に乗りいったいどこから聞こえてくるのか。
表通りに人びとが出てきて不安そうにおかしな物音の聞こえてくるお城のほうを仰いでいます。
そのなかにじいとよしの顔もあった。
「じい!よし殿!」
二人と話しているうちに音は止(や)みました。
何事もなかったようにあたりには夏の空と風が戻ってきた。
しかし、よしは硬い表情のままです。
つと声を落とすと「先ほどの音はお太鼓様に変事があったことを報せるものです」
「柳之助様には大事なご下命があるやもしれません」と続けた。
小新左はきょとんとした。
じいは小さな目をまたたいて「左様でござるか。この老体も心構えをしておきましょう」半分驚き半分納得しているかのように言いました。
その日、夕餉(ゆうげ)の時刻どころか夜更けになっても柳之助は帰宅しなかった。
まる二日たち三日目の朝に柳之助が深手を負ってお城の三の丸にいるという報せが来ました。
よしに夫の看護に来るよう申し伝えると同時に小新左にも同道を命じるものだった。
じいを供に三人で三の丸へ向かうと幸い柳之助は深手とはいえ目を覚まして起きていました。
よしは素早く指をつき「お帰りなさいませ。お役目ご苦労様にございます」
じいは柳之助を励ますような持ち上げるような自慢するようなことをごちゃごちゃと言い並べ始めた。
柳之助は痛みに顔をしかめながら「じい、わかったわかった。おれは死なん」と笑みを浮かべました。
しかし小新左と目が合った途端にその頬の隅に隠しようのない悲痛なものが走って笑みを打ち消してしまった。
「小新左、おれがこのざまでおまえを巻き込むことになってしまった」
済まない、と呻(うめ)くように呟きます。
巻き込む?何に?自分は何にも怖(お)じけたりしない。
麒麟児(きりんじ)の兄には及ばずとも猪ほどの勇猛さは持ち合わせているつもりだ。
小新左さん、頑張ってほしい。
それにしても「麒麟児」ってどういう言葉なんでしょう。
三省堂辞書さんによると麒麟児の出典は「杜甫(とほ)の詩、徐卿(じょけい)の二子(にし)を見(み)る歌(うた)」
将来大成する期待が持てる非常に優秀な少年。
「ことわざ・慣用句の百科事典」さんによると「麒麟」は「聖人が出る時に世に現れるという中国の想像上の動物」
体は鹿、尾は牛、ひづめは馬に似ていて頭上に肉に包まれた一角があります。
「一説に雄を『麒』、雌を『麟』といい、『麒麟児』はその子のこと」
出典の詩では「徐卿の二人の子をたぐいまれな才能とほめたたえ『天上の麒麟児』といっている」
「麒麟児」という言葉はすごく才能があって技能や技術もずば抜けていてこれからの未来がとても明るそうな若い人を指す。
「例えば学校で成績がトップでスポーツや音楽などの特技もすごい。そしてみんながその子の将来を楽しみにしているような人を『麒麟児』と呼ぶことがあるんだ」
「雄を『麒』、雌を『麟』といい、『麒麟児』はその子のこと」
つまり「麒麟」は「オスメス」って意味ってこと?