真剣に諦める

こんにちは。きのひです。

 

「諦める力」 為末 大 著 を読みました。

2013年6月4日 第1刷発行

 

 

 

 

 

 


著者は2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において男子400メートルハードルで銅メダルを勝ち取った。

陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者です。

 

 

 

 

 

 

 

 


シドニーアテネ、北京と3度のオリンピックに出場。

男子400メートルハードルの日本記録保持者(2013年5月現在)

 

そんな著者が書いたこの本の副題は「勝てないのは努力が足りないからじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

「諦める」という言葉には後ろ向きでネガティブなイメージがあります。

しかし著者はあるお寺の住職との対談で「諦める」には別の意味があることを知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「諦める」という言葉の語源は「明らめる」だそうです。

「仏教では心理や道理を明らかにしてよく見極めるという意味で使われ、むしろポジティブなイメージを持つ言葉」

 

 

 

 

 

 

 

 

漢和辞典にも「諦」の字は「断念する」という意味より先に「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味が記されています。

つまり「諦める」という言葉には後ろ向きな意味しかないわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

諦めるということはそこで「終わる」とか「逃げる」ということではありません。

「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、いまこの瞬間にある自分の姿を悟る」というイメージの言葉であるともいえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

著者は姉の影響で8歳のとき陸上を始めました。

走り始めるとすぐに頭角を現し経験を積むにつれてタイムは急激に伸びていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

高校三年生のインターハイでは100メートル、200メートル、400メートルの三種目にエントリーしていました。

しかし顧問の先生から200メートルと400メートルの二種目にするよういわれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬発力と爆発的なスピードが必要な100メートルの試合で著者は肉離れを繰り返していたからです。

先生の説得に渋々ながら同意した著者は400メートルで優勝した。

 

当時の日本ジュニア新記録でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後の大会でも著者が100メートルに出場することはなかった。

400メートルを走ると明らかに自分に向いているという感触がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

著者は顧問の先生に400メートルハードルを勧められた。

その種目は当時100メートルに比べると競技人口が圧倒的に少なく戦略的にも洗練されていませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

とはいえ100メートルは陸上の花形種目。

感情的に簡単に割り切ることはできず著者は一時期強い葛藤に見舞われました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「割り切った」

「諦めた」

「逃げた」

 

 

 

 

 


100メートル競技を諦めたことに対する罪悪感や後ろめたさを抱きながら競技を続けていた著者。

しかし時間が経つにつれて、400メートルハードルを選んだことがだんだんと腑に落ちるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「100メートルを諦めたのではなく100メートルは僕に合わなかったんだ」

いつのまにか無理なくそんなふうに考えられるようになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

すると自分の決断について、よりポジティブな意味を見出すことができるようになりました。


「100メートルを諦めたのは勝ちたかったからだ」

「勝つことを諦めたくないから勝てる見込みのない100メートルを諦めて、400メートルハードルという勝てるフィールドに変えた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自分の腹の奥底にある本心を言語化することができたのです。

「勝つことを諦めたくない」

 

 

 

 

 

 

 

 


多くの人は手段を諦めることが諦めだと思っています。

「だが目的さえ諦めなければ手段は変えてもいいのではないだろうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

著者は400メートルハードルに移ってからほぼ三年間、いろいろなことを試行し思考し続けました。

最初は自分を納得させたい一心だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の置かれた状況と自分の持っている身体や能力を客観的に分析していった結果

「400メートルハードルに移ってよかった」という結論にたどり着いたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸上界で最も「勝ちにくい」100メートルを諦めて著者にとって「勝ちやすい」400メートルハードルにフィールドを変えた。

それは著者が最も執着する勝利という目的を達成するために「必要だった」と納得できたから。

 

 

 

 

 

 

 

 


著者は銅メダルをとりました。

メダルがすべてだと考えていた時期がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「メダルを手に入れると収入が増え、女性からもモテて、メディアからもひっぱりだこ・・」

つまり世間的な「幸せ」や「成功」へのライセンスがメダルを手にすることだと思い込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしメダルを取ってみたら違っていました。

メダルを取った高揚感は「いつまでちやほやしてくれるのか」という不安で打ち消されてプラスマイナスゼロとなる。

 

つまり「普通の状態」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそもメダルなど取らなくても金持ちになっている人や女性にモテる人なんかいくらでもいる。

では金メダルを取ったらもっと幸せになれるのだろうかと考えてみました。

 

「たぶん、違うなと思った」

 

 

 

 

 

 

 

 

「この状態は誰かに褒められ続けていないと自分が成し遂げたことが確認できない『依存症』のようなもの」

「ではどういう状態が幸せなのだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 


他人由来の幸福だと移ろいやすい世の中の評価の中心に振り回され続けることになります。

未来にゆだねた幸福はずっと追い続けて掴んだと思えば慣れてしまい、もっともっとと加速する。

 


「幸福は外や先になく、今ここにしかない」

 

 

 

 

 

 

 

 


何でもかんでも手当たりしだいに手に入れることで幸福が得られるわけではありません。

ある段階がきたら「もうこれはいらない」と手放していくことで幸福が近づいてくるのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

何かを真剣に諦めることによって「他人の評価」や「自分の願望」で曇った世界が晴れて「なるほどこれが自分なのか」と見えなかったものが見えてくる。

 

続けること、やめないことも尊いことではあるが、それ自体が目的になってしまうと自分というかぎりある存在の可能性を狭める結果にもなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

「前向きに、諦める」

「そんな心の持ちようもある」