煩悩100%

こんにちは。きのひです。

 

「星合の空」 篠 綾子 著 を読みました。

2016年7月18日 第一刷発行

 

 

 

 

 

七重はいま母のお絹とはなれて暮らしています。

お絹が買ってくれたお札とお守りを見ながら幼い頃を思い出している。

 

 

 

 

 

 

それは目黒の大鳥神社のお札と目黒不動で知られる瀧泉寺(りゅうせんじ)のお守りです。

大鳥神社瀧泉寺もお絹に連れて行ってもらった。

 

 

 

 

 

 

 

大鳥神社日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀(まつ)っています。

 

 

 

 

 

 


日本武尊は焼津(やいづ)で敵から火攻めにあった。

そのとき草薙剣(くさなぎのつるぎ)で周りの草を薙ぎそれに向かい火をつけて難を逃れました。

 

 

 

 

 

 

 


この伝承から大鳥神社は火難除けのご利益があると知られている。

「このお札を神棚に掲げておけば火事に遭わないでいられるんだよ」とお絹は説明してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

目黒不動に行った時もお絹は教えてくれた。


「ここのお不動さまはね。目黒不動っていうんだよ」

「他にも目赤不動目白不動さまがあるんだ」

 

 

 

 

 

 


「目が黒いから目黒不動っていうの?」

「確かに目黒不動さまの目は黒いけど目白不動さまの目が白くて目赤不動さまが赤いわけじゃないんだよ」

 

 

 

 

 

 


お不動さまは江戸の町に暮らす人々を守ってくれてるんだ、とお絹は説明した。

初めて見る目黒のお不動さまは背中に恐ろしい火炎を背負っていました。

 

 

 

 

 

 

 


幼い七重が脅えているとお絹は娘の背中をなでながら「怖がることはないんだよ」と教えてくれた。

「お不動さまはああやって人々の心の中の煩悩(ぼんのう)の火を右手の剣で断ち切ってくれるんだから」

 

 

 

 

 

 

 

「ぼんのうって何?」

 

「人にはね、自分でどうにもできない気持ちってのがあるんだよ」

「どうにもならなくなっちまうことがあるんだ」

 

 

「それを助けてくれるのがお不動さまなんだよ」

 

 

 

 

 

 


お絹さんは五つか六つだった少女を相手にこんな説明をしました。

もし自分だったらどんな風に言えただろう。

 

 

そもそも「煩悩」って・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

「仏教ウェブ講座」さんによると煩悩はもともと仏教の言葉。

苦しみを生み出す心なので仏教の教えの中でも重要な位置にあります。

 

 

 

 

 

 


仏教では私たちを苦しめる心を「煩悩」と教えられている。

「煩(わずら)」わせ「悩」ませるもの。私たちを苦しめ悩ませる心。

 

 

 

 

 

 

 

 

「仕事がうまくいって、お金があって、家族がうまくいって、健康なら幸せかというとそういうことでもない」

「どんな環境にあっても物事がうまくいっても苦しみ悩みはなくならない」

 

「私たちを苦しめているのは自分の内側にあるのではないか」

 

 

 

 

 

 

 


「倶舎論(くしゃろん)」によればまず六大煩悩といわれる6種類の煩悩があります。

 

・貪欲(とんよく)欲の心

・瞋恚(しんい)怒りの心

・愚痴(ぐち)因果の道理が分からない心でそこから起きる恨みやねたみの心

・疑(ぎ)四聖諦の真理を疑う心

・慢(まん)自惚れ心

・悪見(あっけん)悪くしか見られない心

 

 

 

 

 

 

 

108の中で私たちを最も苦しめ悩ませる煩悩を「三毒の煩悩(さんどくのぼんのう)」といいます。

それは貪欲、瞋恚、愚痴の3つ。

 

 

 

 

 

 


無限に欲しがり続ける欲の心が思い通りにならないと、次の怒りの心が起きてくる。

 

瞋恚とは怒りの心です。

欲の心が妨げられると怒りの心が燃え上がる。

 

 

 

 

 

 


誰かの発言で自分が悪い状況におかれたり、挨拶を無視されたり、急いでいるときに信号が赤になったり。

そんな時腹が立って怒りの心は瞬間的に燃え上がる。

 

 

 

 

 


気づかないうちに人間関係もいい話もすべて焼き払って、怒りの心に苦しめられます。

 

 

 

 

 


では煩悩は消すことができるんでしょうか。

仏教では私たち人間は「煩悩具足(ぼんのうぐそく)」と教えられている。

 

 

 

 

 

 

「具足」とはそれでできているということであり、つまりは「煩悩100%!」

 

でも「よりそうお葬式」さんの記事では「煩悩は悪であるとはいえない」とあります。

「なぜなら煩悩とは本能・欲求という言葉に言い換えることができるから」

 

 

 

 

 

 

 

「煩悩を捨て去り苦しみから解放されるためにはまず煩悩を悪ととらえないことです」

「欲を抑えるのではなく強すぎる感情や執着を抑えること、あるいは消し去るという視点が大切だといえます」

 

 

 

 

 

 

 

自分の感情にとらわれ過ぎてしまうとつらくなってしまう。

いったん横に置いてちがうことに頭をきりかえるのもひとつの解決策かもしれません。