赤坂の日本茜

こんにちは。きのひです。

 

「お江戸・東京 坂 タモリ 港区編」 写真・著 タモリ 2022年10月12日 第1刷発行 を読みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

著者は「日本坂道学会」副会長です。

 

会長は坂道歴史散歩の講座で講師として活躍する山野勝さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

「会員はいまだにふたり」

 

「会長が草彅剛が入りたいっていうのをまだまだだって断っちゃうから(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

「常に変貌する東京で江戸時代と変わらないのが坂道であり、そのうち何坂かは縄文時代からのものもある」

 

「ああー 坂道は楽しいなあ」

 

 

 

 

 

 

 

 

本書では坂道本で初めて「古地図と現代 MAP の完全対比」を実現しました。

 

現代地図に江戸の旧道を詳細に明記するという難題に挑戦している。

 

 

 

 

 

 

 

 

「『赤坂』が汎称になった理由とは」

 

赤坂は、初めは坂の名前でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

明暦3年(1657)の地図では、赤坂見附門の近くに元赤坂町がある。

 

「土地が赤土(関東ローム層)でできていたことが坂名の由来ですが、後には、紀伊徳川家の高台に赤の染料となる茜(あかね)が群生した赤根山があったことから、紀伊国坂の別称を赤坂というようになったともいいます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「茜が群生」の「茜」

 

「茜」という言葉は知っててもどんな植物なのかは知らないかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

みてみると「 Japan Red project 」なるものがありました。

 

幻の「茜色」を現代に再現するプロジェクト。

 

 

 

 

 

 

 

 

【日本全国どこにでも生えている草『日本茜』。


しかし、この草が「日本茜だよ」と指させる人がどれくらいいるでしょうか?

 

 


太古の時代、日本での赤は、
実は、この日本茜の根っこ「赤根」から染められていたのです。

 

 

 

魏志倭人伝に卑弥呼からの贈物「 絳青縑 こうせいけん 」(赤と青の絹織物)が表記されており、
邪馬台国の卑弥呼の時代には、既に日本茜で染められていたことがわかります。

 

 

 

奈良時代(1300年程前)の聖武天皇の御愛用品が正倉院に保存されていますが、
当時、『日本茜』の色は禁色として扱われた高貴な色でもあり、
一番数の多い染め色が日本茜の「 緋色 ひいろ 」なのです。

 

 

 

さらに、黒船来航時に日本国を記す「日の丸」が日本総船印として制定され、
初めての日の丸の赤い色が『日本茜』で染められました。

 

 

 

正に、日本の赤「Japan Red® (ジャパンレッド)」と言えるこの色も、
染法の難しさと多くの赤根が必要とされる事から、
赤根を使いこなす染師と共に現れては消えていき、
今の世では残念ながら忘れ去られ、『日本茜』は幻と化してしまいました。

 

 


そのため、植物染料としても『日本茜』だけは唯一市販されていないのです。

 

 

 

日本の赤色として、
そして、色彩文化として最も大切なこの『日本茜』を今の世に広めたい。

 

 


世界中の人達に日本の赤が「これなのだ!」という事を伝えたい。

 

 

 

古代と未来をつなぐ「Japan Red® (ジャパンレッド)」を現代に再現するプロジェクト。

 

 

 

想いを共有する皆さまと共に、これからも一歩ずつ取り組んでまいります。】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コンセプト」に記載されている文章です。

 

読んでいてなんだか感動してしまった。