こんにちは。きのひです。
「山中伸弥先生に、人生と iPS 細胞について聞いてみた」 山中伸弥・聞き手 緑慎也 を読みました。
2012年10月10日 第一刷発行
2012年10月30日 第四刷発行
山中先生たちは2006年にマウスの iPS 細胞、2007年にはヒトの iPS 細胞の作製の成功を報告した。
「 iPS 細胞は、日本語で人工多能性幹細胞といいます」
iPS 細胞には、二つの大きな特徴がある。
一つは高い増殖能力です。
はじめは1個でも、培養すれば10個、100個、1000個、1万個という具合にどんどん増やせる。
「場所とお金さえあれば、ほぼ無限に増やすこともできます」
もう一つの特徴は、高い分化能力。
「iPS 細胞にさまざまな刺激を与えることによって、筋肉、神経、心臓、肝臓など、200種類以上ある体の細胞を作りだすことができるのです」
iPS 細胞技術を使った治療法は再生医療として期待されている。
「また、 iPS 細胞から作りだしたさまざまな種類の細胞の培養をつづければ、体内で進んだ病気の過程を、体外で再現できる可能性があります」
病気になる前後、細胞に何が起こるのか。
「それがわかれば病気の仕組みに対する理解が深まり、有効な薬を探る大きな手がかりにもなります」
毒性や副作用を事前に調べる手段としても使える。
「 iPS 細胞は多くの人の努力の結晶として生まれました」
「マラソンというよりは駅伝に近いと言ったほうがよいと思います」
著者は中学、高校で柔道、大学で柔道とラグビーをしていたのでしばしば骨折をした。
「年に一回くらいのペースです」
中学時代から骨折するたびに整形外科に通っていました。
神戸大学医学部に進学し、いつか整形外科医、それもスポーツ外傷を診察する整形外科医になりたいと考えるようになっていた。
ただ、もともと研究者に対するあこがれもあった。
「基礎医学に進みたいという気持ちも強くありました」
医学部を卒業した1987年、整形外科の研修医として病院で働きはじめた山中先生を待ち受けていたのは厳しい指導医でした。
「犬やマウスの手術は上手くできるのに人間相手だと緊張して思いどおりにできない」
「そのころ自分の能力に限界を感じるのと同時に、臨床医の限界も感じていました」
研修医としていろんな患者さんと接するうちに、神業のような手術テクニックを持っている医師にも治せない病気や怪我があることを目の当たりにした。
二年間の研修生活が終わるころには、基礎医学への興味が芽生えていました。
著者は大阪市立大学大学院の薬理学専攻を受験した。
「入試の面接ではかなり冷や汗をかきました」
薬理学については医学部生時代にかじった程度なので、面接官の質問に対する答えがどうしてもしどろもどろになりがちだった。
「このままじゃ絶対落ちると思い、面接の最後、やぶれかぶれ正直に声を張ったんです」
『ぼくは薬理のことはなにもわかりません。でも、研究したいんです!通してください!』
「だいぶ後になってこのときの面接官の先生から『あのとき叫ばへんかったら落としてたよ』といわれました」
とにかく研究したいという思いが通じていた。
「ぼくはいまでは、研究者を採用する側の立場にいます」
「たとえ成績がよくなくても、とにかく研究をしたいというやる気のある人をなるべく採用したいと思っています」
山中先生がやぶれかぶれになってくれてよかった。
面接官の先生が熱意を尊重してくれる人でよかった。