こんにちは。きのひです。
「それでも薬剤師は薬を飲まない」 宇多川久美子 著 を読みました。
2015年7月7日 第一版 第一刷
薬は病気を治せないと考え、10年前に薬剤師の白衣を脱いだ著者。
「本当の意味でみなさんに健康になってもらうために、ウオーキングレッスンと栄養指導をするようになりました」
ウオーキングレッスンとは、正しい歩き方をマスターし、歩くだけで運動効果が上がるようにするもの。
栄養指導とは、きちんとタンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルなどをバランスよく食事から摂ること、暴飲暴食しないことです。
これらをしたことで、多くの方は「体調がよくなり、薬がいらなくなりました」
それは自らの生活習慣を変えることで、生活習慣病から脱却された方々からの報告。
しかし、生活習慣を改めたにもかかわらず、なかなか効果が現れず、最終の手段である薬に頼り続けているという人も何人かいらっしゃった。
「同じことをやっても人によって結果が違うのはなぜだろう?」
ある日著者は入浴を済ませ、バスタブに張られた水が渦を巻きながら排水口に流れ込んでいくのを意味もなく見つめていました。
そして、バスタブにあったすべての湯がなくなった瞬間にピンときた。
「もしも、お湯を流さなかったとしたら、そこにいくらきれいなお湯を足していっても、バスタブの中の水はなかなかきれいにならない」
きれいなお湯につかることができるのは、たまっていたお湯を一度抜き、掃除して新たにきれいなお湯をはるからです。
人の身体もバスタブと同様、もともと汚れたものがたくさん入っていたら、きれいなものを入れても汚れたものに紛れてしまう。
「それなら、バスタブの栓を抜いてお湯を一旦流してしまうように、身体の大掃除をすれば効果がより早く現れるのでは、とひらめいたのです」
身体の環境を作り出すのは毎日の食事と運動。
「今日、食事を変えたとしても身体はすぐには変わりません」
しかし数ヶ月後、数年後の身体はこれから口にするもので作られていく。
「身体と食べものの関係を知り、身の回りにある食べものを見直し、食事に対する意識を変えていくことで、身体は必ず変わっていきます」
私たちは物心ついたときから食事の前に「いただきます」と言い、食事が終わると「ごちそうさま」と言っている。
「いただきます」は「私の命をつなぐために動植物の命をいただきます」「あなたの命を頂いて私の命に代えさせていただきます」という意味から生まれた言葉です。
「ごちそうさま」の「ごちそう」は漢字で「ご馳走」と書く。
「お客様をもてなすにあたり、走り回って獲物をとったことに由来する言葉であり、そうした命がけの働きに対し、もてなされた側が感謝する言葉が『ごちそうさま』なのです」
「1から分かる 親鸞聖人と浄土真宗」は親鸞聖人と浄土真宗がやさしく分かる入門サイトです。
「食後の『ごちそうさまでした』の深い意味」についての記載がありました。
「ごちそうさまでした」は漢字で書くと「御馳走様」
「『御馳走』とは、客のために奔走して材料を集め、食事を出してもてなすことです」
その労に対する感謝の言葉として「御馳走様でした(ごちそうさまでした)」というようになった。
「馳走」は「馳(は)せる」「走る」で、ともに走ること。
「どうして走ることと食事がつながったのでしょうか」
実は「馳走」は仏教から出た言葉。
「欧米では『ごちそうさまでした』のような言葉はないそうです」
仏教では、仏教および仏教徒を守護する神が教えられている。
その中に「韋駄天(いだてん)」が出てきます。
お釈迦さまが亡くなられた後、仏舎利(ぶっしゃり)を盗んだ者がいた。
そのとき韋駄天が盗人を追いかけて取り戻したという俗話があります。
「その俗話から『韋駄天』は足が速いと言われるようになりました」
昔、足の速い人がいると「韋駄天のようだ」と言ったのはこのことに由来している。
韋駄天はお釈迦様の為に駆け回って食材を集めてきたという話もあります。
「仏教では食事だけではなく、他の人の為に奔走して、功徳を施して救う、苦しんでいる人を助けることを『馳走』と言う」
「お釈迦さまは35歳の時に仏のさとりをひらかれて80歳でお亡くなりになるまでの45年間、インドを『馳走』されました」
「親鸞聖人は29歳の時に阿弥陀仏の本願に救いとられ、本当の幸せになられてから、90歳でお亡くなりになるまで、京都、新潟、関東を『馳走』されました」
そのような「馳走」される仏教の先生がおられたからこそ、2600年の時代と国を超えて、今日、日本に仏教が伝えられている。
「お釈迦様から渡された仏教というバトンが、インドから中国、中国から日本へとつながった」
「これはまさに『馳走』のおかげです」