友人の定義とは

こんにちは。きのひです。

 

「しない生き方」 秋山佳胤 著 を読みました。

 

2017年7月14日 第1刷発行

 

 

 

 

 

 

 

 

「人生を楽しむ秘訣は、何でも人任せにしない、人のせいにしない」

 

「縛りの感情を、自分にも他人にも適用しないこと」

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分を大事に、大切にしてください」

 

「自分の気持ちに正直に行動してください」

 

「これまで生きてきた自分の時間を否定しないでください」

 

 

 

 

 

 

 

 

著者はさまざまな場で出会う方々が抱える悩みにある共通点を発見した。

 

それは束縛の感情です。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりこうしなくちゃいけない」

 

「こうでないとダメかな」

 

「こうするべきだと思う」

 

 

 

 

 

 

 

 

自分も他人も、社会に対しても何かギュッと縛りつけているのです。

 

そんな縛りの感情を、自分にも他人にも適用しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

それぞれのタイミングで気づき、人生を楽しむためには自分のハンドルを他人に預けないことです。

 

「しない」「しなくていい」この言葉を、ちょっと軽めに頭に置いてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

心理面の弱さは自己価値の不足が影響します。

 

たとえば友人、友だちと呼ばれる人との関係。

 

 

 

 

 

 

 

 

「会うたびに愚痴(ぐち)る友人」

 

しかも目の前にいる自分への愚痴まである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな人と会うメリット、どこにありますか?」

 

なぜ会うのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

友人の数が少ないから、昔から知っているから、気軽な仲だから。

 

それ以外にも自分に心理面で何か弱い部分があると、相手のエネルギーフィールドというか、重力圏に引きずり込まれるような状況となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は平凡でとくに価値がない、だからどこかで誰かの役に立ちたい。

 

そんな潜在意識が「愚痴くらい聞かなきゃ」という態度へとつながります。

 

 

 

 

 

 

 

 

著者の友人の定義は一緒にいて楽しい人。

 

「もし楽しくなければ、何年、何十年の付き合いがあっても、その人は友人じゃありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

著者は2008年の3月以降、飲食を必要としない体質に転換した。

 

「世間では『不食』と呼ばれる状態です」

 

 

 

 

 

 

 

 

その不食を経験する前、著者は縛りつけ感情の持ち主だった。

 

家族に対してこうしろ、ああしろと、まるで独裁者のようにふるまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事でも心に戦場を作って生きていた。

 

「メンタルの面では、たぶんギリギリの状態だったと思います」

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし徐々に食べなくなると、劇的に変わった。

 

感情の振幅(しんぷく)が小さくなり、怒りや悲しみやコンプレックスが消えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の場合は食べなくなったことで、人生の真の面白さに気づきました」

 

「ちなみに本書は全文、私が勝手にそう思っている、そう考えているという話です」

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからくれぐれも真に受けないでください」

 

「それよりも読後、自分の中で湧いた感情を大切にしてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って、そういわれてたのに真に受けてしまった・・