江戸時代の天狗は

こんにちは。きのひです。

 

「水の中の月」 波津彬子 著 を読みました。

 

初版発行 1996年5月1日

 

五版発行 1998年3月1日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「青之介様(せいのすけさま)」「若様(わかさま)」

 

姉の結婚相手と会う日だというのに青之介の姿がみえません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「逃げられましたか?遊びたい盛りでしょう」

 

「隆嗣様(たかつぐさま)。申しわけありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はお客様がおみえだとあれ程(ほど)言っておいたのに」

 

「私があなたと結婚すれば彼は義弟(おとうと)です。会う機会はいつでもあるでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「早く会って私も天狗(てんぐ)に会った話を聞かせてもらいたいですが」

 

「あら・・!そんな事までご存じでいらっしゃるの?」

 

 

 

 

 

「少し変わった子なのでお驚きにならないで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

nippon.com 「天狗(てんぐ):魔物から神へと昇格した稀有(けう)な妖怪 2022.10.25」

 

「天狗は深山に棲息(せいそく)すると言われる妖怪だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鼻高で神通力を備え、翼があって自由自在に飛び回ることができます。

 

「中国で犬の姿の妖怪だったが、日本に入ってきて『狐』から『流星』、『堕天使』から『戦乱を予兆する星』、そして『神』へとさまざまにイメージが変化(へんげ)していった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天狗の鼻は、ピノキオのように顔の中心から棒状にまっすぐ突き出ている」

 

この鼻によって人間ではない存在=妖怪だと識別できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実は『鼻の高い天狗』は意外に歴史が浅い」

 

天狗についての記録は7世紀からあるが、そのイメージは時代とともに変遷し、定着したのは江戸時代以降のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そもそも天狗のルーツは中国にある」

 

隕石(いんせき)が大気圏に突入する際の衝撃音が犬のほえる声に聞こえたことから「天の狗(いぬ)=天狗」と名付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現在でも中国や台湾では、天狗は犬の姿の妖怪として流布している」

 

中国では、天狗(すなわち流星・隕石)の出現は戦乱の予兆と解されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本では流星・隕石としての「天狗」は定着しなかった。

 

日本書紀」の「天狗」には「あまつきつね(=天のきつね)」という和訓が付けられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平安時代中期の10世紀ころから、天狗は狐(きつね)のように「人を化かす妖怪」として知られるようになった。

 

「11世紀前半に書かれた『源氏物語』でも、天狗は人をだまして連れ去る、すなわち『神隠し』を起こす妖怪として登場する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに平安時代後期から中世にかけて、天狗は空をかけることから、鳥のような姿、とりわけトビの姿でイメージされるようになりました。

 

「鳥型」の天狗の登場とほぼ同時に、天狗には仏法の敵である『魔』のイメージが重ね合わされるようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代にはこうした天狗のイメージは大きく変わりました。

 

「鳥型から今日よく知られる鼻高天狗が主流派となったのである」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その背景に何があったのか、実はまだよくわかっていない」

 

江戸時代には、天狗は妖怪というより神に近い存在へと昇格していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代の天狗は、人間の高慢さを戒める存在として現れることが多かった。

 

「江戸時代の天狗は、鼻は高いが、決して『天狗』ではなかったのである」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても「隕石が大気圏に突入する際の衝撃音」って・・