こんにちは。きのひです。
「鬼滅の刃をもっと楽しむための大正時代便覧」 大正はいから同人会 著 を読みました。
2020年4月25日 初版第1刷発行
「大正はいから同人会」は「鬼滅の刃」(吾峠呼世晴/集英社)の熱狂的読者ファンで構成された非公式の集まりです。
物語の舞台は大正時代。
「本書では、物語の舞台となった大正時代に起きた出来事、そこで生きた人々の暮らし、和洋折衷の独特な文化や技術などの側面から『鬼滅』の物語の背景に迫ります」
「なお歴史上の物事の由来には諸説あります」
「本書で取り上げる事柄は、そのうちの一つだということをご理解の上お読みください」
上弦の参・猗窩座は人間時代、父親の薬代を稼ぐために掏摸(スリ)を繰り返し、何度も捕まっては刑罰をくらいますが、強気の姿勢を崩すことはなかった。
猗窩座は犯罪者の証として腕に3本線の入れ墨を施されていますが、この「入墨刑」が刑罰として正式に幕府に採用されたのは1720年のことです。
将軍・徳川吉宗が、中国の明の法律を参考に、犯罪の抑制を狙って取り入れた刑罰だった。
1742年「公事方御定書」という江戸幕府の基本法典を自ら主導で編纂しました。
「この法典ができる以前は、基本的に刑罰といえば『死罪』か『追放』のどちらか、という非常に雑なものだったようです」
刑罰としての入れ墨については、身体のどこに彫られているか、どのような形であるかによって、どこの土地で罪を犯したかが判別できるようになっていた。
「例えば腕に2本ないし3本の線を肘の関節より下に彫られていれば『江戸の町での罪人』と限定されます」
「慶蔵が狛治(猗窩座)を見て、即座に『江戸の罪人だな』と断定できたのもそのためです」
「法務史料展示室だより 第20号」「歴史の壺」
法務図書館の書棚から「第5回 『刑罪大秘録(けいざいだいひろく)』」
「刑罪大秘録」は江戸時代の法制度に関する史料。
「本史料には、当時おこなわれていた取調や刑罰の執行など、江戸時代の刑事法に関する事柄が、多くの絵図を用いて視覚的に記されており、読む者の目を惹きます」
その中で江戸時代におこなわれた刑罰の一種「入墨(いれずみ)」について。
これは江戸時代中期に徳川吉宗のもとで一般的な採用をみた刑罰とされ、腕などに入れ墨をする身体刑であり、主として盗犯に科されました。
「『法』は全国で統一しておこなわれるという今日われわれが抱いている認識からすると、不思議に感じられるでしょうが、幕府領である各奉行所や各藩で、それぞれ独自の形をもった『入墨』が彫られました」
そのことによって一般の人は、どこで罪を犯した者であるかを一見して知ることができた。(石井良助「江戸の刑罰」)
例えば、紀州(現在の和歌山県など)では右腕に「悪」の文字が。
また筑前(現在の福岡県の一部)では初犯・再犯で額にそれぞれ文字の一部が彫られ、三犯にいたると「犬」の字が完成するなど多種多様な「入墨」刑の執行方法があったことがうかがえます。
ん?
さらっと書いてありますが「額に『犬』の字が完成」って・・
まず1回目の逮捕の時は横棒が一本入ります。
2回目の時はその横棒に2画目の左はらい。カタカナの「ナ」ですね。
ついに3回目になると3画目の右はらいに点を付けて「犬」の文字が彫られてしまう。
「雑学ネタ帳」「額に『犬』の字を書いた人とは 2018/8/18」によると「そのつぎ今度何かやったら死罪である」
「他にも、江戸(現:東京)では『悪』、肥後(現:熊本)では『又』や『刀の絵』、長門(現:山口)では『〇』」
「肥前(現:佐賀・長﨑)では『×』が罰として書かれ、罪人がどこで罪を犯したのか一目でわかるようになっていた」
「ばつでばつ」書かれるのも・・、ですが「額に『犬』」って・・
犯罪抑止力は相当なものだったと思えるんですが。