こんにちは。きのひです。
「雨柳堂夢咄(うりゅうどうゆめばなし) 其ノ十三」 波津彬子 著 を読みました。
2011年1月30日 第1刷発行
「桜(はな)のあとは若葉の季節か」
「そうじゃ。初夏(はつなつ)の座敷をつくろう」
命じられた太郎冠者(たろうかじゃ)は若楓(わかかえで)の葉の影を映(うつ)しとって来て座敷の天井から長押(なげし)の辺(あた)りに置きました。
その幽(かす)かな影は時折風にそよいで、これは風趣(ふうしゅ)があると古老(ころう)もほめた。
次に次郎冠者が一幅(いっぷく)の掛軸を床(とこ)に飾りました。
それは杜鵑(ほととぎす)を描いた絵の軸で、その絵の鳥は時折、葉影の下を飛び初夏らしい鳴き声も響かせる。
そして三郎冠者が思いついたのは鮎でした。
友だちが釣ってきた若鮎を三郎冠者に分けてくれた。
それはとてもきれいな若鮎(わかあゆ)で、釣られても泳いでいる様(さま)が目に浮かぶような。
「座敷の襖(ふすま)に泳がせてみますと、鮎はうまく襖の絵となって泳いでくれました」
鮎。魚偏に占うという字があてられている。
なにか由来があるんでしょうか。
「笑顔(きち)を呼ぶ魚『鮎』 全鮎 / 全国鮎養殖漁業組合連合会」
「鮎は魚偏に占うと書きます」
諸説あるようですが、神武天皇が高倉山で敵に包囲されたとき「酒を入れた瓶を丹生川に沈め、魚が浮いてくれば大和国を治めることができる」という占いに従われたそうです。
「すると本当に魚が浮かび、その魚がアユであったとか」
「鮎」の字は、占いによく使われたことに由来している。
「『神武天皇が東征の際、夢のお告げで土器と壺を作り川に沈めて占った』とか『記紀の神功皇后が、遠征の際、飯粒をエサにして「新羅に勝つことができるなら魚が釣れますように」と祈って川の中に投げ入れたところ釣れた魚がアユだった』などの話があります」
我が国のアユはふ化した仔魚が海まで下り、幼魚になるまで海で生活するタイプ(両側回遊型)と、海の代わりに湖と流入河川との間で生活史を完結するタイプ(陸封型)に分かれる。
後者はいわゆる琵琶湖のアユ(湖産アユ)です。
アユは卵を産み付けられてから2週間ほどでふ化。
仔魚は直ちに海へ流下して3月~5月に川にのぼります。
藻類を食(は)み、なわばり争いをしながら川で生活。
成熟して下流へ移動し10月~12月に産卵すると産卵後には死んでしまいます。
鮎が海へでるとか1年で命を閉じるとか・・
勉強になります。