こんにちは。きのひです。
「こがねもち」 飯島一次 著 を読みました。
2016年7月15日 初刷
南町奉行所の同心、植草平助(うえくさへいすけ)は二十一。
父が隠居したため二十から見習い同心として出仕しました。
定町廻りを拝命してほどなく事件が起きた。
「今宵、金杉橋近くの餅屋に賊が入り主人が殺害されました」
「店は繫盛していたのか。金目当てのものとりか」
「ところが旦那。金目当ての殺しとは思えません」
「それはまた、どうして」
「手文庫の金がそのまま残されていましたので」
「では遺恨による殺害か」
「それが」
「実は変なものを飲まされて死んでたんです」
「殺された主人はあおむけに倒れておりましたがその口の中に小判が詰められて」
「なんだと」
小判って・・
Sigma さん2024.04.06 に「小判の現在の価値とは?種類や買取相場、真贋の見分け方などを解説」
小判って種類があるんですね。
それも計12種類!
「最初の小判は1595年に発行された『駿河墨書小判(するがすみがきこばん)』」
鋳造させた大名は徳川家康なのか、豊臣秀吉の家臣であった中村一氏なのか、まだ明確には分かっていません。
小判は安土桃山時代から江戸時代にかけて流通した貨幣の一種です。
額面はすべて1両。
「初期の小判には墨書(ぼくしょ)という職人によって墨で手書きされた文字が記載されていた」
しかし江戸時代に入って小判の製造枚数が多くなると墨書の代わりに花押印・極印・験極印などの刻印となっていきました。
採取できる金には限りがあるので「改鋳(かいちゅう)」が何度も行われた。
これは古くなった大判や小判を市場から回収して新しいものに鋳造し直すことです。
「そのため、その時代の経済状況によって発行される小判の純度は変わっています」
1837年(天保8年)に鋳造された天保小判(てんぽうこばん)は日本で初めてローラーを利用した延金によって鋳造された。
それまでは手作業によって延金されていたので表面に凸凹やゆがみがありました。
「天保小判以降は鋳造技術が格段に向上したため平面性や均一性が保たれた美しい小判が作られるようになった」
「最後に発行された万延小判(まんえんこばん)の金の純度は60%未満にまで下がっています」
サイズも小判のなかでは小さめサイズ。
金の含有率が徐々に下がっていったのにはちょっとしょんぼりです。
それにしても初期の小判には手書きでひとつずつ文字が記載されてたとかはいかにも高級そう。
実際に見たらテンション上がっちゃうでしょうね。