こんにちは。きのひです。
「夢うつつ」 あさのあつこ 著 を読みました。
2014年1月10日 第1刷
「わたしの日常は毎日、ほぼ何事もなく過ぎていきます」
平凡でごくごく普通でちっとも目立たない。
十代のころは自分が華々しく変わる未来を信じることができました。
何の根拠が無くても自分を信じて幻を愛せ、幻影に恋ができる。
「でも大人になるとそうもいきません」
幻に振り回されない強さを得るのと引き換えに現実を受け入れなければならなくなる。
「そして自分の前に続く平穏だけれど退屈な日を見てしまうのです」
それはある面とても幸せではあるのですが、反面焦燥を掻き立てられ呻(うめ)くことでもありました。
そんな日々を支えてくれたのが数々の物語。
「わたしは夢中で本を読み、束の間でも平凡な自分と自分の日々を忘れようとしました」
でも「この退屈極まりない日々が書き手としてのわたしの源泉なのだとわたしはこのごろ気がつきました」
どんな慎ましやかな地味な生であったとしても物語の宝庫となりうる。
この本は著者が試みたエッセイから短篇作品へと変容する6篇の物語です。
十年以上昔、著者は三人の子どもたちに振り回されダンナと子どもたちを振り回して生きていた。
朝目覚めてから夜布団にもぐりこむまでの光陰が、文字通り飛ぶ矢の如く過ぎ去っていきました。
人が人を育てる喜悦や困難、慰労や辛労をたっぷりと教えられ、自分の内に聖母も鬼母も、豊かな情も貧しい心根も存在すると気がついた。
自分を誇らしく思ったり、落ち込んだり、おののいたり、胸を張ったり。
「激動との一言はやや大仰かもしれないけれど、わたし自身が揺り動かされながらの日々だったことは事実だ」
一人の母親としてせつに思う。
「子どもたちは幸福であってもらいたい」
「子どもと呼ばれる時間を心置きなく、何に憂うこともなく、楽しんでもらいたい」
そのために、やれることはやるべきだとも思っている。
「ただこのごろ、ふっと感じる」
子どもって案外したたかで強いんだな、と。
自らの力で自らの生を作っていく、そんなしたたかさと力を有している。
「わたしたちは、やたら子どもたちを保護し、庇護(ひご)し、支え、助け、指導しようとする」
それはそれで少しも間違ってはいないのだろうけれど、いつの間にか子ども自身の力を信じきれない大人になっていたのかもしれない。
「それは善意の陰で子ども自体を軽んじていることにならないか」
自戒とともに思ってしまうのだ。
閑話休題。
十年以上も昔のこと。
わたしは母親仲間とおしゃべりをしていた。
「閑話休題」
ってどんな意味でしたっけ。
小学館 Hugkum (はぐくむ)2023.10.12 「誤用しがちな『閑話休題』の正しい意味って?」
「間違えて使われることが多いと言われる『閑話休題』という言葉」
「かんわきゅうだい」
「話が横道に逸れた際、本題に戻るためのワンクッションとして接続詞のように使う言葉です」
「話が横道に逸れる」という意味と勘違いされることが珍しくない。
しかしむしろその逆で「『横道に逸れた話を本題に戻す』際に使われる言葉です」
「『閑話(=無駄な話)』と『休題(=話していたその無駄な話題をやめること)』のふたつの言葉が組み合わせられていると思えば意味も覚えやすいですね」
言葉の由来は「古代中国の歴史小説『水滸伝(すいこでん)』にあると言われている」
「本作のなかの『しばらく閑話をとして休題し、ただし正話をいわんや』という一文が元になっているというのが通説です」
類語や言い換え表現としては「それはさておき」「ともかく」など。
どちらも話題を変える際に使う言葉です。
あまり話し言葉では使わない気がします。
書き言葉で使われているんでしょうか。