こんにちは。きのひです。
「三千円の使いかた」 原田 ひ香 著 を読みました。
2018年4月25日 初版発行
2019年3月5日 5版発行
新聞を読んでいた御厨琴子(みくりやことこ)は、はっと老眼鏡を探しだしました。
「めがねめがね」
「えーと、マンゴー銀行、退職金キャンペーン、特別金利、年利二%、と」
「預けられるのは、退職者及びその配偶者の六十歳以上の男女のみ。ただし」
こういう広告には必ず裏があり、それはその下に書いてある。
もちろん琴子は賢い消費者であるから、ちゃんと読む。
まるで芥子粒(けしつぶ)のように小さな字、新聞記事の文字よりもずっとずっと小さい。
都合の悪い条件は読んでくれるな、とでも言うようです。
『二%の金利は、一千万以上の預金を三か月以上の定期に入金した最初の三ヶ月のみ、その後は0.01%』
「まあ、そうでしょうね」
マンゴー銀行というのは、九州の宮崎県にあるらしい。
地方とはいえ電話で資料を取り寄せ書類に記入して口座を開き、そこに入金すればよいのでわざわざ宮崎まで行くことはありません。
そして現在、退職金を預けている銀行に行って大金を引き出す手続きをする。
そんな一連の作業が「なんだか、面倒だわ・・・」と琴子は初めて思いました。
お金をちょっと動かせば四万近い金利が手に入るっていうのに。
「こんな時こそ家計簿をつけてよく考えることが大切だ」
夫は六十を過ぎて商社を退職した後、六十五まで子会社の役員をしていた。
その後は年金生活に入り、夫婦二人の時は二ヶ月に一回、二十六万弱の金額が振り込まれていました。
しかし夫は五年前に肺ガンで亡くなった。
一人になると年金はひと月に八万ほどになってしまいました。
それでも最初は「もうほとんどお金がかかることもないだろう。贅沢をせず、家を守りながらひっそり暮らそう」と思っていた。
けれど自炊というのは一人分も二人分も経費はそう変わりません。
夫が生きているうちはあまりなかった友人からの誘いもぐっと増えた。
年老いてこれからの年月、友達や家族との時間が一番大切な気がします。
「あの世や棺桶(かんおけ)にお金を持って行っても仕方ないしね」と友人たちも口々に言っていた。
しかしこれから自分の介護が必要になったり病気になったりしたら、いったいどれだけお金がかかるのかわかりません。
「あの世に持って行けないから使いましょう」というのと「お金がどれだけあっても不安だから節約しなくちゃ」という相反した言葉が同じ口から出てくるのが老人というものだ。
神様が教えてくれればいいのにね、と琴子は家計簿を開きながら考えます。
「お前の寿命は八十年、死に方はガンだから介護の必要はなし」だとか「転んで寝たきりになるから、お金を貯めておくように」だとか。
けれど現実にはそんな優しい神様はいないから、気休めかもしれないけどとにかく家計簿をつけるのだ。
本屋に行ったら、ちゃんと「高年生活の家計簿」や「年金家計簿」がそろっていてほっとしました。
これまでの家計簿との違いは毎月のページが年金支給日である十五日始まりになっていたり、医療費の欄が充実していたり、二ヶ月が一つのまとまりになっていて計算ができるようになっていたりすることだった。
「高年生活の家計簿」は日本で家計簿を最初に作った、羽仁(はに)もと子の家計簿が元となっていました。
家計簿。やっぱつけたほうがいいですかね。
つけていたら内容の分析とかできるようになるんでしょうか。
KDDI 研究員コラム「人は何のために家計簿をつけるのか?―家計簿の歴史から― 2023/09/20」
「人は何のために家計簿をつけるのだろうか?」
「家計簿の歴史を辿ってみると、過去には個人のための目的だけではない時代があったことがわかる」
商業簿記は江戸時代のものまで遡ることができます。
「日本に現存する最古の商業簿記は1616年富山家の『足利帳』だといわれている」
いつから現在のような家計簿となったのでしょうか。
「興味深いのは西欧から輸入されたものではないというところだ」
現代的な家計簿の形式は明治期に羽仁もと子という人物が費目ごとに管理する家計簿を提案したことがはじまりとなる。
ポイントは「主婦」が現れたことでした。
明治期に産業化が進む中で会社員という働き方が出現する。
会社員の夫に主婦の妻という夫婦を基本の家族単位とした「家庭」という形態がこのころ現れます。
明治の羽仁もと子の家計簿は将来的な生活向上を目指した貯蓄を目的としていた。
しかし太平洋戦争期には、家計簿も戦時体制に組み込まれてしまいます。
戦時下の家計簿ではそのときどきの生活費を捻出させるとともにその生活を鼓舞する目的が付与されるようになる。
戦時体制を維持するために家計を管理し勤労再生産に励むことと物品の節約が戦力増加につながっていることが「『生活家計簿』の記け方」に記されています。
戦後には自分たちの生活のための家計簿も戻ってきている。
1946年に「婦人ノ友」が呼びかけを行った「家計簿をつけ通す同盟」という活動があります。
これは同盟が各家庭の家計簿を集め平均値を集計し会報誌にその値を報告することで平均値をベンチマークとすることができる仕組み。
加えて「婦人ノ友」ではリアルでの交流の場も設けられています。
近所の会員同士で最寄会を設置し後輩が先輩に家計簿を見せてアドバイスを受けるという活動が行われた。
「最寄会のような場があることで疑問ができたときに相談し励ましあうことで家計簿を継続できた、という声もあったようである」
ちょっと・・窮屈そう。
今とはまた違う家計簿の活用方法です。