こんにちは。きのひです。
「あやかし草紙」 宮部 みゆき 著 を読みました。
令和2年6月25日 初版発行
江戸(えど)は神田(かんだ)筋違御門(すじかいごもん)先にある袋物屋の三島屋(みしまや)ではここ数年、風変わりな百物語を続けている。
聞き手を務めるのは主人・伊兵衛(いへえ)の姪(めい)である十九歳の娘、おちか。
その日はうんと冷え込んで朝から小雪が舞いました。
ちかが昼食の後、一息ついていると「お嬢さん、瓢箪古堂(ひょうたんこどう)の若旦那(わかだんな)がお見えでございます」
瓢箪古堂は貸本屋。
若主人は勘一(かんいち)といい、いわゆる昼行灯(ひるあんどん)のような人です。
今日ものほほんと長閑(のどか)な風情だった。
伊兵衛の次男である富次郎も加わり三人で話しているうちに富次郎が言いました。
「瓢箪古堂さんも商いのなかで何かしら怪異や不思議にぶつかった経験があるのではないかい」
何か百物語にぴったりな話の持ち合わせはないか、富次郎は急に勘一に持ちかけた。
瓢箪古堂の若旦那はゆっくりと首をかしげて考え込みました。
しばらくすると姿勢を戻して「ご所望のお話かどうかはわかりませんが・・」と語り始めたのです。
それは「奇妙な写本作りの話」
写本の仕事なのに「その冊子の内容を読んではいけない」
文字を追って写本をしても文章までは読み取らぬよう、固くご自分を律してほしい。
「出来上がった写本と元本を引き比べると、必ず違うものになるはずだ」
だがそれで正しいのでかまわない。
その手間賃は百両。法外である。
「この仕事を引き受けるならまず半金の五十両。仕事を終えたとき、写本と引き替えに残金五十両を支払う」
それは夏の盛りの頃でした。
道を二人で歩きながらその冊子を「見たいんだろう?だったらおいで」と同業者の男にいわれた勘一。
「『私はいつでもかまいませんよ。うちへ訪ねておいでなさい』『何なら、写してくれてもかまわない』と」
言い捨てて男は待たせておいた駕籠にのりこみ行ってしまった。
気がつくと勘一は水を浴びたように汗だくでした。
喉が干上がっていることに気づいた勘一は、一丁(約百九メートル)ほど先にある寺の山門をくぐり、僧に挨拶して水を所望した。
親切な僧は「ひどい汗だ。具合が悪いんじゃありませんか」と本堂の風通しのいいところに上げてくれました。
勘一はまずご本尊を拝んだ。
子供の背丈ほどの大きさの古い阿弥陀(あみだ)仏でした。
その優しい微笑みを浮かべたお顔を眺めているうちに波立っていた心がだんだん静まってきた。
「おかげさまで、うちに帰り着くころにはいつもの手前に戻っておりました」
「親父に何か覚られることもなくこのやりとりは自分の胸一つにしまい込んで」
その奇妙な冊子のことは、そのうちに忘れてしまった。
「手前に水と日陰をくだすったお寺さんは双法寺(そうほうじ)といいまして、それをきっかけに法話や歴史書などをお持ちするようになりました」
勘一さんは柔和に微笑みつつ吹き流しのようにつかみどころのない飄々とした人。
「いつも瓢箪鯰(ひょうたんなまず)みたい」
なんでしょう「瓢箪鯰」
「サライ」さんに「瓢鮎図(ひょうねんず)」についての記事がありました。
「鮎」は本来ナマズを意味する漢字。
禅の修行のひとつに、師匠と弟子の間で交わされる問答がある。
これを「公案(こうあん)」といいます。
足利4代将軍義持(よしもち、1386~1428)は歴代将軍のなかでもひときわ禅に関心が深かった。
あるとき義持は「丸くすべすべした瓢箪でねばねばした鮎(なまず)を押さえることはできるか」という公案を思いつきました。
義持は絵師の如拙(じょせつ、生没年不詳)にこの公案を主題とした絵を描かせた。
それが禅画の傑作とされる国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」
「和樂web 」さんは「瓢鮎図」という絵の存在が広く知られていたといいます。
「とらえどころのない要領を得ない様子やそのような人を表す『ひょうたんなまず』」
「この言葉は『瓢鮎図』の公案から生まれたものです」それはこの絵の存在がそれだけ広く知られていたことの証。
「ひょうたんなまず」私が知らないだけで、けっこう一般的な言葉なんでしょうか・・
そしてもっとびっくりなのは「当時ナマズを『鮎』と書いていた」こと。
「鮎」をオーダーして「ナマズ」がでてきたらかなり驚くと思うのですが。