こんにちは。きのひです。
「旅立ちの橋」 鈴木 英治 著 を読みました。
2008年8月20日 第1刷発行
南町奉行所の定廻り同心である樺山富士太郎(かばやまふじたろう)は中間の珠吉(たまきち)と現場に急行しました。
殺しです。
野次馬の壁は「八丁堀の旦那が通るよ」という呼びかけに、砂でできているかのように崩れていく。
すでにきていた町役人は「そちらのお侍から話をきいていただいたほうがいいと思います」と右手を指し示した。
それはまだ前髪を落としていないような若侍でした。
目が赤い。ついさっきまで泣いていたのではないか。
「道場からの帰り、それがし三名の浪人者に絡まれました」
その三人は金を要求してきた。
いわゆる喝(かつ)あげってやつだね、と富士太郎は思いました。
「それでどうしたんだい」
若侍は恥ずかしげにうつむいた。
「応じてしまいました」
「財布から二朱を取りだそうとすると全部よこしなと腕が伸びてきました」
「そこに女性があらわれ『あんたたち、いったいなにしているのよ』と三人に向かっていいました」
「引っこんでろ、と浪人の一人が胸を押しました。女性はなにすんのよ、とその浪人の顔を張りました」
「激高した侍が頬を張り返しました。ふらりとした女性は背中から倒れこみ、そこの塀で頭を打ちました」
「女性はそれきり動かず、三人の浪人はあわてて逃げていきました」
「それがしがあんな男たちに金を差しだすような真似をしなければ、あの女性は死ぬことはなかったんです」
「見ず知らずの方に助けていただいたのに、こんなことになってしまい」
そのあとは言葉が続かなかった。無念さが伝わってきた。
浪人たちの人相や身なりをきいたあと富士太郎はまわりを見渡しました。
日は大きく傾いて西の空は真っ赤に染め上げられている。
道ももうだいぶ暗くなってきています。
若侍にお屋敷の場所をきいたあと「ありがとう。気をつけてお帰り」と帰るようにいった富士太郎。
自分は殺された女性の住まいを明らかにするために珠吉と歩き出しました。
「ところで珠吉、ききたいことがあるんだけど、いいかい」
「なんですかい。あっしに答えられることなら」
「喝あげという言葉の由来さ。知っているかい」
「旦那、うろ覚えですからこれは確かなことじゃありませんよ。僧侶に関係する言葉だったような気がします」
「かつらをかぶって遊郭に遊びに来る僧侶を取り締まるために役人や目明しが本物の髪の毛かどうか調べたのが由来だときいたような覚えがありますよ」
「それをかつらあげといったそうなんですけど、もしかしたらちがうかもしれません」
「なるほど、かつらあげが喝あげか」
「目こぼしを願ってお金を差しだしたからだね」
喝あげの語源なんて考えてもみなかったなあ。
「語源由来辞典」さんでは「喝あげの『カツ』は『恐喝』のカツ『アゲ』は『巻き上げる』のアゲ」とありました。
「『カツを揚げる』という意味は含まれていない」そうです。
「起源を紡ぐ 意図の糸」さんでは少し違う由来が紹介されていた。
「本来カツアゲは犯罪行為ではありませんでした」
もともとは江戸時代に役人によって行われた「鬘上げ」という髪の毛を引っ張り本物の地毛か確認する取り締まりのこと。
違法に日本に紛れ込む外国人を取り締まることが目的で行われていた。
江戸幕府は鎖国をしていましたがオランダと中国に対しては長崎の出島での貿易だけ許されていました。
そこで問題になったのが出島から市街地に足を踏み入れようと日本人に変装するオランダ人。
彼らは出島に出入りする日本人娼婦の髪を切りそれをもとに黒髪のかつらを作りました。
その見事なかつらで出島と市街地を結ぶ検問をくぐりぬけていた。
幕府はこの事態に対応すべく「鬘上げ」という通行人の髪を引っ張ることで本物か確認する作業を役人に行わせていました。
出入りするオランダ人が増えると人手不足になりそれを補うためにならず者や荒くれ者までも雇い入れた。
そのうちオランダ人の変装もバリエーションがでてきて髪の毛をそり落として出家僧を装うものもいたそうです。
これでは髪を引っ張ることもできないと鬘上げは次第に減少していくことに。
ところがこれにより職に溢れてしまったならず者たち。
彼らは道行く善良な人に鬘上げを装い金品を強要しました。
この「鬘上げ」が「カツアゲ」と発音されるようになった。
「恐喝行為のことをカツアゲと言うことにより恐喝という犯罪の言葉の重さや罪深さを崩してしまっている」
「ですが言葉が違ってもカツアゲと恐喝の行い自体に違いや小差はありません」
「カツアゲの事実を知りながら止めないのは犯罪を見逃しているのと同様です」
恐喝罪は10年以下の懲役刑だそうです。