こんにちは。きのひです。
「車夫 3 雨晴れ」 いとうみく 著 を読みました。
2018年9月27日 第1刷発行
桃沢夕花(ももさわゆうか)と小野寺圭人(おのでらけいと)は押上(おしあげ)中学校二年生。
同じクラスで同じ新聞部でしたがこれまでほとんど口をきいたことはありません。
そんな二人が「匠(たくみ)」の担当をすることになりました。
「匠」は校内新聞の名物コーナー「わが町の職人に聞け 匠の奥義(おうぎ)」のこと。
桃沢がたてた企画は「車夫(しゃふ)」
部室の隅の机で居眠りしていた小野寺は副部長の前倉(まえくら)先輩からそれをききます。
「え、人力車の車夫?それって職人なんすか?」
「うーん、そこのところは微妙ではあるんだけどね」
「そっすよね。オレ車夫なんて興味ないし」
「でもね、企画は通ってるから」
結局小野寺は「力車屋」という人力車の事務所に桃沢と取材に行くことになりました。
桃沢はまとめてきた資料を小野寺にレクチャーし始めた。
「日本で人力車の営業がはじまったのは約150年前の明治3年」
「最初に営業していたところは五街道の起点になっていた日本橋あたりで」
「ゴカイドウ・・・」
「五街道は東海道(とうかいどう)、甲州(こうしゅう)街道、奥州(おうしゅう)街道、日光(にっこう)街道、中山道(なかせんどう)のこと」
「すげー、やっぱ桃沢って頭いいな」
「この前授業でやったばっかりだけど。小学校のときも習ったし」
そうでしたっけ。
ゴカイドウ。
nippon.com さんの記事によれば東海道は江戸・日本橋~京都三条大橋。距離は492km。
中山道は江戸~京都の別ルート。山越えや峠越えが多く東海道より長い。526km。
甲州街道は甲府まで行き下諏訪で中山道と合流。距離は209km。
日光街道は宇都宮から日光東照宮への参拝道としての役割を持つ。147km。
奥州街道は日本橋~宇都宮から分岐し白河へ。距離は192km。
五街道の道幅は約7m~14mとかなり広かった。
これは軍用道として活用することを計画していたからです。
家康は謀反を起こした大名に討伐軍を派遣するため江戸を起点に複数道路を整備した。
東海道は「家康が造った」と思われがちですが律令時代(7~8世紀)から存在しており家康が行ったのは拡充・整備でした。
軍事上の目的から建設された道路が参勤交代を通じて広く知れ渡った。
軍事の道から「商業」「産業」「旅」の道へと変わっていきました。
それにしても「中山道」だけ「街道」がついてないんですよね。
なぜ「中山街道」ではないんでしょうか。
見るたびに心の中で「なかやまみち」とついよんでしまいます。